鶴舞公園の歴史

歴史に彩られた
鶴舞公園の歴史を
紹介します。

鶴舞公園は名古屋市設置の最初の公園として明治42年に誕生しました。

鶴舞公園の誕生

 わが国では、明治6年の太政官布達により公園制度が設けられました。名古屋にもぜひ大公園をと市民の間に強い希望がありましたが、なかなか実現できませんでした。折しも、明治38年から精進川(現新堀川)の改修工事が始まって土砂が余ることとなり、また、明治43年に行われることとなった第10回関西府県連合共進会の会場が必要となったことから、旧愛知郡御器所村の田園地帯であったこの地が選ばれ、長年待ち望んだ大公園が生まれることとなりました。明治42年11月19日、「鶴舞(ツルマ)公園」と名称が定められました。
 設計は、全体計画が本多静六林学博士、鈴木禎次工学士が行い、日本庭園は村瀬玄中、松尾宗見の両宗匠が行いました。共進会終了後、共進会の施設としても使われた噴水塔や奏楽堂などを取り込みながら本格的な造園工事が始まり、大正9年ごろには近代フランス式の洋風庭園と廻遊式の日本庭園とを合わせもつ和洋折衷の大公園がほぼ完成しました。平成21年には公園のほぼ全域が、文化財保護法に基づく登録記念物に指定されました。

扁額

明治42年の開園当時に内閣総理大臣であった陸軍大将桂太郎の筆による扁額。公園の正門ゲートを兼ねたJR中央線のガードに掛けられていた。当初の青銅板は戦時の金属回収により供出され、コンクリート製の代用品に代えられたが、昭和41年に復元。その後、管理上の都合により平成28年2月23日から取り外されていたが、令和元年10月に正面花壇に設置された。

伊吹おろしの碑

旧制第八高等学校の寮歌「伊吹おろし」を刻んだ記念碑。八高創立50年を記念して昭和33年、鯱ヶ池ほとりのこの地に建てられた。鯱ヶ池は明治41年につくられた池で、雌雄2頭の鯱(シャチ)の形をしていた。戦後埋め立てられ、昭和37年からはベビーゴルフ場となっている。

旧動物園跡

大正7年4月、私営浪越動物園より寄贈を受けて以来、昭和12年に東山へ移すまで、この地に市立動物園が設置されていた。面積は約1.2ヘクタール、飼育動物は250種800点の多数を集めていた。現在では通用門の門柱2基を残すのみとなっている。

鶴々亭

昭和3年秋、鶴舞公園一帯で「御大典奉祝名古屋博覧会」が催された。これは昭和天皇即位の大典を祝すとともに産業の振興、文化の発展を願って行われたものである。鶴々亭はこの時、名古屋材木商工同業組合が参考館として出展した茶席で、木曾檜材の最高級品が使用されている。

普選壇 名古屋市指定文化財
(昭和61年5月27日指定)

普通選挙法(大正14年施行)を記念した野外劇壇。中日新聞社の前身名古屋新聞社が改題20周年(大正15年)を記念して昭和3年に建造した。壁面には普通選挙の基本精神「五箇条の御誓文」とその英訳、および建設の趣旨とが掲げられている。この青銅板は戦争で失われたが昭和42年に復元された。

噴水塔 名古屋市指定文化財
(昭和61年5月27日指定)

明治43年、鶴舞公園を会場として第10回関西府県連合共進会が開かれた。会場の正面広場を飾ったのがこの噴水塔であり、以来、鶴舞公園のシンボルとなっている。設計は鈴木禎次工学士、ローマ様式の大理石柱に岩組みという和洋折衷式である。地下鉄3号線工事のため一時撤去されたが、昭和52年復元された。

奏楽堂

明治43年の共進会では中心的施設として各種の演奏会が催された。イタリアルネサンス風の建物で、細部にはアールヌーボーのデザインが施されている。設計者は噴水塔と同じ鈴木禎次工学士。昭和9年に老朽化のうえ室戸台風で大被害を受けたので取り壊され、昭和11年から平成7年まではデザインの異なる奏楽堂が建てられていたが、平成9年に築造当時の姿に復元された。

胡蝶ヶ池

明治43年の共進会開催にあわせて造られた池で蝶が羽をひろげた形をしている。共進会終了後進められた公園建設でも、廻遊式日本庭園の中心に位置づけられている。戦後、進駐軍により南半分が埋め立てられ、ベビーゴルフ場となっていたが昭和30年に復元された。中の島の「鶴の噴水」もこの年、朝日新聞社厚生文化事業団から寄贈されたものである。

鈴菜橋

明治43年の共進会の時から廻遊式日本庭園の入口となっていた橋。当初は純日本式の木造太鼓橋であった。戦後、進駐軍による接収中、池の南半分が埋め立てられ、橋も取り壊された。接収解除後の昭和30年、池の掘削改修とともに鉄筋コンクリート製に復元された。

秋の池

池のほとりにハゼノキ、モミジなどが多く、秋の紅葉が美しい。明治43年の共進会終了後造られた池。当時の設計では、竜ヶ池、胡蝶ヶ池から秋の池へ、その後、春の池、夏の池へと水を流す予定であった。春の池と夏の池は、現在の庭球場南と、公会堂あたりに計画されていた。

酒匂の滝

竜ヶ池は水の豊富な池であったが、まわりの下水道整備が進むにつれ補給水が減り、汚れが目立ってきた。そこで昭和30年、近くのビール工場の冷却水の余り水を引くことになった。池との落差4メートルの「酒匂の滝」。名は当時の工場長酒匂常仲氏にちなんだものである。平成12年ビール工場閉鎖にともない、池の水を循環している。

竜ヶ池

鶴舞公園は、明治38年から始められた精進川(現新堀川)開さく工事の土砂で造成されたものである。それ以前このあたり一帯は、旧御器所村の田園地帯で、水田や大根畑であった。もともと灌がい用のため池であった竜ヶ池は、日本庭園の修景池として残されたものである。

私立名古屋図書館跡

鶴舞中央図書館の前身で、大正2年に名古屋市教育会により設立された。建物は、明治43年の共進会に帝室林野管理局が展示した林野別館を改造したものである。大正12年、市立名古屋図書館が鯱ヶ池畔に開館したが、これは大正天皇の御大典奉祝記念事業であった。私立名古屋図書館の蔵書はすべてこの新しい図書館に寄贈され、今も中央図書館に受け継がれている。

八幡山古墳

国の史跡に指定(昭和6年)されている県下最大の円墳。高さ10メートル、直径82メートル、まわりは堀になっている。大正8年、公園敷地に編入された当時は老松がうっそうとしていたが、戦争中、高射砲陣地設営のため伐採されてしまった。戦後再び緑化され、昭和57年からは特別緑地保全地区に指定されている。

吉田山

元名古屋市長吉田禄在の所有地であったこの丘陵に、明治43年の共進会のため、貴賓館(聞天閣)が建てられた。その後、国宝猿面茶席、松月斎や美術館なども建てられたが、いずれも戦争で失われてしまった。戦後、跡地に野外スタジアムが造られたが、伊勢湾台風で大被害を受けたので取り壊され、昭和39年からは野球場として使われている。

青年団令旨碑壇

名古屋市連合青年団が昭和5年に建設した記念碑壇。
青年のスポーツ精神を高揚する御令旨が掲げられている。陸上競技場は、大正2年に大運動場として発足した。昭和7年には施設も充実し、乙種認定を受けたが、戦後の接収時代に荒れてしまった。現在は認定外の陸上競技場として、各種のスポーツ、行事に利用されている。